自発動詞の読み方
「自発動詞」は「じはつどうし」と読みます。
文法用語としての読み方は「じはつどうし」のみで、辞書や文法書、学校の教科書のどこを見てもこれ以外の読み方は紹介されていません。
「自発」と「動詞」という2つの言葉を組み合わせた構成になっており、「自発」は「じはつ」、「動詞」は「どうし」とそれぞれ読みます。
音読みと音読みを重ねた熟語なので、訓読みが混ざる言葉と違って読み方に揺れが出にくく、辞書やネット検索でもそのまま「じはつどうし」と調べれば迷わずたどり着けます。
日本語の文法用語には、重箱読みや湯桶読みのように訓読みと音読みが混在して読み方に迷う言葉も少なくありません。
しかし「自発動詞」にはそうした特殊な読み方や当て字が一切含まれていないため、文法を学び始めたばかりの人でも見たとおりに音読みで読めば、迷うことなく正しい読み方にたどり着けます。
この「自発」という読み方は、後の章で詳しく取り上げる「自発的」という言葉の「自発」の部分とも全く同じ読みです。
「自発動詞」も「自発的」も、どちらも「じはつ」という音から始まる言葉として、見た目にも読み方にも共通点が多く感じられます。
ところが、読み方が共通しているからといって、2つの言葉が表す内容まで同じというわけではありません。
読み方が同じでも意味の方向がまったく逆になる点については後の章であらためて取り上げるので、次はまず自発動詞そのものの意味をひとつずつ確認していきましょう。
自発動詞の意味とは
自発動詞とは、動作主の意図とは関わりなく、物事がそれ自体で変化したり起こったりする様子を表す自動詞の一種で、国語の文法では自動詞をさらに細かく分けた下位分類として扱われます。
「誰かが意図して行う」のではなく「ひとりでに起こる・なる」という状態を言い表す点が、自発動詞の最大の特徴です。
例えば「走る」「泳ぐ」という動詞は、動作主が自分の意思で体を動かす「意志動詞」に分類され、動き始めるタイミングも自分で決められます。
「太郎が走る」「太郎が泳ぐ」と言えば、太郎自身が自分の意思で体を動かしていることが前提になっています。
これに対して「ガラスが割れる」「紙が破れる」という文では、割った人や破った人の意図は文の中にまったく表れてきません。
自発動詞は、意志動詞とは対照的に、動作主の意図が感じられない現象をそのまま描写する動詞なのです。
雨が降ったり、花が咲いたりするのも、人の意図とは無関係に起こる自然現象だという意味では、自発動詞と同じ発想でとらえることができ、文法用語を知らなくても感覚的に理解しやすい部分です。
こうした自然現象をイメージすると、「物事がひとりでに起こる・変わる」という自発動詞の感覚がつかみやすくなります。
ただし、見た目が似ているだけの自動詞との線引きには、慣れないうちは少しコツが必要です。
次の章では、意志動詞と自発動詞を実際にどう見分ければよいのか、具体的な判断基準をひとつずつ確認していきましょう。
自発動詞とただの自動詞の見分け方
自動詞の中には、意志動詞と自発動詞の両方が含まれているため、辞書の説明だけでは区別しにくく、見分けるための基準を知っておくと役立ちます。
もっとも分かりやすい基準は、「わざと」「意図的に」という言葉を前に付けられるかどうかで、意図を表す言葉と相性が悪い動詞ほど自発動詞に近いと考えられます。
「わざと走る」「意図的に泳ぐ」は不自然な表現ではなく、動作主の意図を問題なく付け加えることができます。
このように意図を表す言葉と自然に結び付く動詞は、意志動詞だと判断できます。
一方で「わざと割れる」「意図的に割れる」はどこか不自然で、ガラス自身に意図があるとは考えにくい表現になってしまいます。
「わざと」を付けたときに不自然さを感じる動詞ほど、動作主の意図が入り込まない自発動詞である可能性が高いのです。
ただし「泣く」「笑う」のように、意図的にも無意識的にも使える動詞は、この基準だけでは判断が揺れやすいので注意が必要です。
「わざと泣く」は演技として成立しますが、悲しくて思わず泣く場合は意図が伴わないため、同じ動詞でも使われる場面によって意志動詞的か自発動詞的かの性質が変わってきます。
このように、1つの基準だけで全ての動詞をきれいに割り切れるわけではなく、前後の文脈も合わせて判断する姿勢が大切です。
次の章では、自発動詞とペアになることが多い他動詞との関係を、具体的な組み合わせとともに見ていきましょう。
自発動詞と他動詞の対応関係
自発動詞の多くは、意味の近い他動詞とペアになっており、2つをセットで覚えると動詞全体の理解が一段と深まり、語彙を増やす効率も上がります。
「開く/開ける」「閉まる/閉める」「折れる/折る」のように、自発動詞と他動詞が対になる例は数多く見られます。
「ドアが開く」は自発動詞を使った文で、風などによってドアが自然に開く様子だけを描写しています。
これに対して「ドアを開ける」は他動詞を使った文で、誰かがドアを開ける動作そのものを表します。
自発動詞の文で「が」に置かれていたドアは、対応する他動詞の文では「を」に置かれる目的語に変わります。
このように、自発動詞と他動詞のペアでは「が格」と「を格」の間で主語と目的語の役割が入れ替わる仕組みになっているのです。
「枝が折れる」と「枝を折る」の関係も同じで、自然に折れた状態と誰かが折る動作とを、動詞を使い分けるだけできれいに区別できます。
日本語には、こうした対応ペアが数十組も存在していると言われており、動詞を覚えるときにセットで学ぶと効率的です。
一方で「老いる」「死ぬ」のように、対応する他動詞を持たない自発動詞も存在し、無理に対応する他動詞を探そうとすると不自然な言葉になってしまいます。
こうした動詞は、もともと人や生き物に起こる自然な変化そのものを表すために使われてきた言葉だと考えられており、意図的に引き起こす対象として扱いにくい点が共通しています。
自発動詞と「自発的」の違い
「自発動詞」と「自発的」は、同じ「自発」という漢字を含んでいるため、ニュアンスまで似ていると誤解されやすく、実際に混同して使われてしまうケースも見られる言葉です。
けれども、2つの言葉が指し示す方向は、驚くほどはっきりと正反対になっています。
「自発的」は日常語で、「誰かに指示されなくても、自分から進んで行動する」という能動的な意味で使われます。
「自発的に掃除をする」「自発的に発言する」のように、周りから指示される前に自分の意思で動き出す積極的な姿勢を表すのが「自発的」という言葉です。
ところが「自発動詞」は、動作主の意図がまったく表に出ない現象を描写するための文法用語です。
「自発的」が意図の強さを表すのに対して「自発動詞」は意図の不在を表すという、正反対の方向性を持っているのです。
「割れる」「折れる」はどれも、誰かが積極的に行動した結果ではなく、ひとりでに起きた出来事として描かれ、文の中に行為者が登場しない点が共通しています。
もし「自発動詞=自分から積極的に行う動詞」だと勘違いしてしまうと、言葉の意味をまるごと正反対に取り違えることになってしまうので注意しましょう。
同じ漢字を含む言葉だからこそ、文章の中で見かけたときは、文法用語としての用法なのか日常語としての用法なのかを意識して読み分けることが大切です。
次の章では、似て紛らわしいもう1つの言葉、助動詞の「自発」との違いを確認していきましょう。
自発動詞と助動詞「自発」の違い
「自発」という言葉は、実は助動詞「れる・られる」の用法の一つを指す名前としても使われているため、ここでも混同に気をつける必要があります。
助動詞「れる・られる」には、受身・可能・尊敬・自発という4つの用法があり、同じ形でも文脈によって意味が変わります。
例えば「褒められる」は受身、「食べられる」は可能、「出発される」は尊敬として使われる「れる・られる」です。
これらに対して、感情や思考を表す動詞に付いて自然にそう感じる様子を表すのが、助動詞の自発用法です。
「故郷のことが思われる」「寒さが感じられる」のような文では、「思う」「感じる」という動詞に「れる・られる」が付いて、自然に思いが湧く様子を表しています。
「思われる」「感じられる」のように、特定の感情や思考を表す動詞に付いたときの「れる・られる」が、助動詞の自発用法です。
これに対して「割れる」「折れる」のような自発動詞は、「れる」を取り除くと「割る」「折る」のように意味の異なる別の動詞になってしまい、もとから独立した1つの単語として辞書に載っています。
助動詞の自発用法は、もとになる動詞に「れる・られる」を付け加えることで意味を加える仕組みなので、この点で自発動詞とは性質が異なります。
自発動詞は独立した語彙そのものであり、助動詞の自発用法は既存の動詞に意味を付け加える仕組みだという違いを理解しておくと、古典文法や現代文法のどちらを学ぶときにも役立ちます。
自発動詞の使い方
自発動詞の基本的な使い方は「〜が+自発動詞」という文型で、主語の位置には変化を受ける物や事柄が置かれます。
日本語の文はふつう「誰が何をする」という形を基本としますが、自発動詞を使うときはこの基本形から行為者がすっぽり抜け落ちます。
「誰が」ではなく「何がどうなったか」に焦点が当たるため、その変化を引き起こした人物は文の表面にはいっさい出てきません。
もっとも、人がまったく関わっていないわけではなく、関わりをあえて文の外に置いているだけという点がポイントです。
行為者を文中から外せるからこそ、誰の責任かをあえて明示しない柔らかい言い方ができるのが自発動詞の大きな役割であり、日本語らしい気配りの表現ともいえます。
「資料を増やす」「作業を始める」のように他動詞を使えば行為者の存在が前面に出ますが、「資料が増える」「作業が始まる」と自発動詞に置き換えるだけで、同じ出来事がまるで自然に起こったことのように聞こえます。
同様に「値段を下げる」と言うか「値段が下がる」と言うかでも、聞き手が受け取る印象は変わってきます。
この性質があるからこそビジネスの報告書やお詫びの文章で自発動詞が好んで選ばれ、相手を責めているような印象を与えずに事実だけを伝えられる表現として重宝されています。
ただし使いすぎると、責任の所在をあいまいにしているように受け取られることもあるため注意が必要です。
自発動詞の例文
- 【例文1】この先で道が大きく曲がるので運転には注意が必要です
- 【例文2】日が落ちると急に空気が冷える季節になりました
- 【例文3】システムの障害により一部のデータが消えてしまいました
- 【例文4】今月は客足の影響で売り上げが減りました
- 【例文5】司会者が合図を出す前に会議が始まりました
- 【例文6】司会者は時間を確認してから会議を始めました
例文1と2は、特定の誰かの行為としてではなく、状況が自然に変化した出来事として描かれています。
道が曲がるのも空気が冷えるのも人の意図とは無関係に起こる変化なので、天気予報や道案内のような客観的な説明と自発動詞はとても相性がよいのです。
例文3や4のようにビジネスや謝罪の場面で自発動詞を使うと、誰かを責めるような響きを避けながら事実だけを伝えられます。
もし「売り上げを減らした」と他動詞で言ってしまうと、まるで社員の誰かのせいで減ったかのように聞こえてしまい、報告書としては適切とはいえません。
例文5と6を比べると、同じ「会議が始まる」という出来事でも、自発動詞を使うか他動詞を使うかで誰が動いたのかという情報の見え方が大きく変わり、特に議事録のような記録文書では、この違いが読みやすさを左右します。
出来事を淡々と伝えたいのか、司会者のように誰の行動かを明確にしたいのかによって、書き手は意識的に動詞を選び分けるとよいでしょう。
自発動詞の成り立ち・由来
自発動詞の多くは、対応する他動詞と語尾を交替させる形で生まれていると言われており、音の変化によって意図の有無を区別する仕組みは日本語の動詞に古くから見られる特徴です。
このような交替のパターンを知っておくと、見慣れない動詞に出会ったときにも自動詞か他動詞かを見分けやすくなります。
代表的なパターンとして、「届く/届ける」のような-く/-ける、「決まる/決める」のような-まる/-める、「壊れる/壊す」「汚れる/汚す」のような-れる/-すなどが挙げられます。
これらはいずれも同じ語根に異なる語尾を付けることで、自然に起こる変化と人が行う行為とを区別する役割を持っていると言われており、特に-すで終わる他動詞は外から力を加えて変化を起こす意味合いが強いと指摘されることもあります。
もっとも、すべての自発動詞に対応する他動詞があるわけではなく、「太る」のように変化を表しながらも対になる他動詞を持たない語も存在します。
太るきっかけは食べ過ぎや運動不足などさまざまですが、その原因ごとに専用の他動詞を作り分ける習慣は日本語には定着していません。
国語辞典で自動詞と他動詞のペアを確認しても該当する他動詞の項目自体が見つからないことがあり、こうした語が生まれた背景については諸説ありますが、もともと変化そのものを表すために使われてきた語が対になる他動詞を作らないまま定着したためと考えられています。
自発動詞が重要になる場面
自発動詞という言葉を最も意識するのは、日本語教育の現場で、日本語を母語としない学習者にとって自動詞と他動詞の違いは直感的につかみにくいポイントの一つだからです。
英語の受動態とは異なる発想で行為者を省く点が、学習者を特に悩ませると言われています。
「増える/増やす」のように自動詞と他動詞がペアになる動詞を教える際、片方だけを覚えても正しく使い分けができないため、自発動詞という視点が指導の軸になり、教材では対応するペアを一覧にした表がよく使われます。
学習者はペアの違いを理解してはじめて、「在庫が増える」と「在庫を増やす」を正しく使い分けられるようになり、この区別を誤ると、自分がした作業なのに「増える」と言ってしまうような不自然な文になりかねません。
また、古典文法で助動詞「る・らる」「れる・られる」の受身・可能・尊敬・自発という4つの意味を学ぶときにもこの用語が登場し、現代語の自発動詞とは別の仕組みでありながら名前が似ているために両者を結び付けて説明されることがあり、教える側は両者を混同しないよう言葉を選んでいます。
一方で、日常会話の中で「自発動詞」という言葉そのものが話題になる場面はほとんどなく、文法用語として意識しなくても日本語は自然に使いこなせてしまうのが実情で、多くの人は「割れる」や「増える」を自発動詞だと意識せずに日々当たり前のように使いこなしています。
自発動詞のまとめ
- 自発動詞は、意図的な行為者を想定せずに起こる出来事を表す自動詞です。
- 「〜が+自発動詞」の形で使われ、行為者をぼかして物事を柔らかく伝えられます。
- 多くは他動詞と語尾交替のペアを持ちますが、ペアを持たない語もあります。
- 日常語の「自発的」や助動詞の「自発」とは、意味も働きも異なります。
自発動詞は、自動詞の中でも「人の意図とは関係なく起こる出来事」を表す特別なグループで、割れる・増える・始まるのように多くは対応する他動詞とペアをなしており、使い方や由来を順にたどっていくと日本語の動詞全体の仕組みが整理しやすくなります。
身の回りの出来事を表す動詞の多くが、実はこのグループに含まれています。
行為者を文に出さずに済むからこそ、ビジネスの報告やお詫びの場面で重宝される実用的な語彙でもあります。
一方で使い方を誤ると、責任をあいまいにしていると受け取られる場合もあるため、原因を明確にすべき場面では他動詞も使い分けましょう。
自分から進んで行動する「自発的」や、受身・可能・尊敬と並ぶ助動詞の一用法である「自発」とは、似た名前でありながら中身がまったく異なる点を押さえておくことが大切です。
身近な動詞がどのグループに属するのかを意識するだけで、日本語の動詞の仕組みが一段と見通しやすくなり、文章の書き方にも自信が持てるようになります。