「教誨」の読み方とは
「教誨」は「きょうかい」と読みます。
「教誨」の正しい読み方は「きょうかい」のひとつだけで、他の読み方は存在しません。
「教」を「きょう」、「誨」を「かい」と読む、音読みどうしを組み合わせた熟語です。
「誨」は常用漢字表に含まれていない表外字なので、新聞や一般向けの書籍でもふりがな付きで表記されることが多く、辞書で調べて初めて正しい読み方を知ったという人も多いはずです。
「誨」はよく似た「悔」という字と混同されがちですが、偏の違いに注目すると見分けやすくなります。
「誨」の偏は「言べん(ごんべん)」で言葉によって教え導くという意味を持ち、「悔」の偏は「忄(りっしんべん)」で心が痛む「悔いる」という意味を持つ、まったく別の字なので、話し言葉に関わる字か心の動きに関わる字かを意識すると区別しやすくなります。
形がよく似ているだけに、パソコンやスマートフォンで変換する際にも間違えやすく、印刷物などで見かけたときにも読み違えないよう注意しましょう。
耳で聞いた場合には「教会」や「協会」とも混同しやすいので、前後の文脈から判断する必要がある言葉でもあります。
「教会」はキリスト教などの礼拝施設を、「協会」は特定の目的のために作られた団体や組織を指す言葉なので、意味そのものは大きく異なり、文脈さえわかれば聞き間違いを防ぐことができます。
ちなみに「誨」を訓読みすると「おしえる」「さとす」となり、この訓読みからも人をさとし導く字であることがうかがえます。
「教誨」の意味とは
「教誨」とは、相手に道理をよく教え諭し、これまでの過ちを深く反省させて、正しい方向へ導いていくことを意味します。
単に知識を教える「教育」とは異なり、心の底からの悔い改めを促すニュアンスが強い言葉です。
技術や方法を教える「指導」や、悪い点を厳しく叱る「叱責」とも違い、相手の心のあり方そのものに寄り添いながら静かに働きかける点に特徴があります。
たとえば学校の先生が生徒に勉強を教えるような、ごく普通の場面には、「教誨」という言葉は使いません。
「教誨」が使われるのは、すでに罪や過ちを犯してしまった人に対して、その心に静かに働きかけ、みずからの行いを振り返らせて反省を促すような場面です。
一方的に反省を求めて突き放すというよりも、本人がみずから過ちに気づき、悔い改めていく過程にじっくりと寄り添うイメージの言葉だと言えます。
宗教的・道徳的な響きを持つ、かなりかたい言葉であるため、普段の日常会話で気軽に使われることはほとんどありません。
友人や家族との会話で「教誨してあげる」のように使うと、説教くさく大げさで、かなり不自然な印象を与えてしまいます。
ニュースの犯罪報道や、宗教・教育に関する専門的な文章の中で見かけることが多い、あらたまった場面のための言葉だと考えておくとよいでしょう。
「教誨」には、上から一方的に裁くのではなく、相手の人格を尊重しながらそっと寄り添って導くという、あたたかい姿勢が込められている言葉です。
「教誨」の由来・語源
「教誨」は、「教」(おしえる)と「誨」(さとす・おしえみちびく)という、意味の似通った二つの漢字を組み合わせてできた熟語です。
どちらも「教え導く」という意味を重ね合わせることで、意味を強めた熟語だと考えられています。
こうした似た意味の漢字を重ねて意味を強める作り方は、「教育」や「指導」など日本語の熟語によく見られるパターンのひとつです。
「誨」という字は、中国の古典にもたびたび登場する字で、目上の者が目下の者に対して根気強く教え導く場面で、古くから使われてきました。
たとえば『論語』には、人に教えて飽きることがないという意味の「誨人不倦」という言葉が見られ、古くから「教え導く」という意味で目上の者が使う言葉として使われてきたと言われています。
この「誨」という字を含む「教誨」という言葉が日本に伝わった後は、仏教をはじめとする宗教の教えを説く場面で使われる言葉として定着していきました。
信者や弟子に対して、経典の教えをわかりやすくかみくだいて伝え、心のあり方を正していくような文脈で用いられてきたと言われています。
近代に入ってからは、監獄・刑務所における受刑者への活動と結びつき、現在の使われ方の中心になっていきました。
刑務所での教誨は、明治時代の監獄制度の整備とともにはじめ仏教の僧侶を中心に行われるようになり、その後キリスト教や神道など他の宗教にも広がって、現在に至るまで続けられていると言われています。
「教誨」と「教誨師」の関係
「教誨師」とは、刑務所や拘置所などの矯正施設で、受刑者に教誨をおこなう宗教家や篤志家のことを指す言葉です。
教誨師は公務員ではなく、ほぼ無報酬で活動する民間のボランティアです。
仏教やキリスト教、神道、天理教など、さまざまな宗派・教団に所属する教誨師が全国の施設で活動しており、担当する受刑者の希望する宗教にあわせて教誨師が選ばれるしくみになっているほか、全国の教誨師たちが連盟を組織して活動の質を保つための研修をおこなっていると言われています。
教誨には、複数の受刑者が一緒に話を聞く「集合教誨」と、一人ひとり個別に向き合う「個人教誨」の二つの形式があると言われています。
中でも死刑が確定した人への個人教誨は特別な重みを持ち、執行の直前や当日に立ち会うこともある、非常に重い役割として知られています。
最後の瞬間まで寄り添う存在として、死刑囚の心の支えになってきたと言われています。
こうした活動は普段あまり表に出ることのないものですが、教誨師を主人公にした映画が作られるなど、ニュースや映像作品を通じて触れる機会もあります。
よく似た制度に「篤志面接委員」がありますが、こちらは宗教色を持たず、生活や進路の相談に応じる点で、宗教的な指導をおこなう教誨師とは役割が異なると言われています。
教誨師になるために特別な国家資格は必要なく、所属する宗派や教団からの推薦を受けたうえで、刑務所側の面接や承認を経て活動を始めることになると言われています。
「教誨」が使われる場面・分野
「教誨」という言葉が現代においてもっとも多く使われるのは、刑務所や拘置所といった矯正施設の場面です。
受刑者に対して行われる宗教的・道徳的な指導そのものを指す、あらたまった専門的な言葉と言えます。
実際に多くの矯正施設には、教誨をおこなうための「教誨室」と呼ばれる静かな専用の部屋が設けられており、あらかじめ決められた日程で教誨師が定期的に訪れていると言われています。
仏教寺院での法話やキリスト教会での説教など、矯正施設の外の宗教的な指導の場面で使われることもあります。
お寺の僧侶や教会の牧師が信者に対して教えを説き、心のあり方を静かに正していくような、厳かな場面によく合う言葉です。
また江戸時代よりも前の書物の中には、子どもや家臣、弟子など目下の者へのしつけや教育を指す、現在よりも広い意味の言葉として使われた例もあると言われています。
当時は現在よりもかなり幅広い意味で使われており、目上の者が目下の者を教え導く場面全般にひろく用いられていたようです。
一方で現代のビジネスの場面や日常生活の中で「教誨」という言葉が使われることは、まずないと言ってよいでしょう。
会社の会議の場などで部下を指導するようなときにこの言葉を使うと、説教くさく大げさな印象を与えてしまい、かなり違和感のある表現になります。
現代の日本語においては、矯正施設や宗教という限られた分野で使われる、改まった専門用語として位置づけられている言葉だと考えておくとよいでしょう。
「教誨」と「教化」「訓戒」「説諭」との違い
「教化」は、思想や人格、風俗などを広く教え導き、より良い方向へ変えていくことを指す言葉で、対象は罪を犯した人に限られません。
「教誨」が反省や悔悟を促す宗教的な響きを持つのに対し、「教化」はより広い意味で使われる違いがあります。
たとえば「国民を教化する」「風俗を教化する」のように、社会全体や集団の意識を変えていくような大きな文脈で使われ、「教誨」のように対象者自身の内面の反省を前提とはしていません。
「訓戒」は、規律違反や不注意な行動などに対して口頭で注意し、戒めることを指す言葉です。
会社などの組織内で、比較的軽い処分として「訓戒処分」のように使われることが多く、宗教的な意味合いはまったくありません。
「説諭」も同様に、警察署や学校などで軽い過ちを犯した人に対して、言葉で言い聞かせる場面で使われる言葉です。
たとえば未成年者が万引きなど比較的軽い罪を犯した場合に、逮捕されずに警察署で説諭を受けて済むことがあると言われています。
行政や教育の現場で日常的に使われる、実務的な響きの強い言葉だと言えます。
「教誨」だけが、受刑者や信者の心に深く働きかけ、悔い改めを促す宗教的なニュアンスを強く持つ言葉だと言えるでしょう。
つまり「教化」は対象を選ばない広い言葉、「訓戒」や「説諭」は日常や実務の中での軽い注意、「教誨」は罪を犯した人の内面に深く働きかける宗教的な言葉、という違いがあると覚えておくとよいでしょう。
「教誨」を使った例文
- 【例文1】刑務所に通う教誨師が、受刑者一人ひとりの心に寄り添いながら教誨を続けている
- 【例文2】その僧侶は毎月一度、拘置所を訪れて収容者に向けて仏の教えを説く教誨にあたっている
- 【例文3】刑務所内の教誨活動を長年支えてきたボランティアの高齢化が進んでいると新聞が報じた
- 【例文4】師は年若い弟子たちを前に教誨を垂れ、道を誤ることのないよう繰り返し諭した
- 【例文5】牧師による教誨を幾度となく受けるうちに、彼のかたくなだった表情は少しずつ和らいでいった
こうして例文を並べてみると、「教誨」という言葉が刑務所や拘置所、あるいは寺院や教会といった、ごく限られた特別な場所を舞台にして使われる、いかにも硬い言葉であることがよく分かります。
ふだんの雑談で耳にすることはまずない、教える側と教えられる側の立場がはっきり分かれた表現だとも言えます。
例文から分かるとおり、「教誨」という行いの主語になるのは、たいてい教誨師や僧侶、牧師といった、人を教え導く専門的な立場にある人たちです。
受刑者自身が「教誨した」と名乗ることは、まずありません。
例文4のような「教誨を垂れる」という表現は、古典的な師弟関係を思わせるやや古めかしく格式張った響きを持ちますが、現代の記事や文章であれば「教誨を行う」「教誨にあたる」と書くほうが自然で、読み手にもすっと伝わりやすくなります。
「教誨」の英語での言い方
「教誨」という言葉に、一対一でぴったり対応する英単語は残念ながら存在しません。
近い意味を持つ英語としては、諭し戒めるという意味のadmonitionや、強く勧めて励ますという意味のexhortationなどが挙げられます。
ただしこれらの単語は、職場や学校での日常的な注意や忠告に対しても使われる、比較的守備範囲の広い言葉です。
そのため「教誨」が本来持っている、宗教的・道徳的で矯正的なニュアンスまでは十分に伝えきれません。
実際に英和辞典で「教誨」を引いてみても、一語の訳語ではなく説明的なフレーズがあてられていることが多く、この言葉が持つ意味の幅広さがうかがえます。
そこで実際の英文記事などでは、moral guidance(道徳的な導き)やreligious counseling(宗教的な助言・カウンセリング)といった、状況を説明する言い回しが好んで使われています。
日本の刑務所制度を海外向けに紹介する記事でも、religious guidance for inmatesのような句で教誨の活動内容が説明されることがあります。
「教誨師」に相当する語としては、施設に所属する聖職者を指すchaplainが最もよく当てはまります。
一つの英単語に置き換えようとするよりも、行われている行為の中身を説明する形で訳したほうが、本来のニュアンスを正確に伝えられます。
「教誨」を使うときの注意点
「教誨」は画数の多い漢字が続く言葉で、「誨」という字を、形の似た「悔」に書き間違えてしまう人が少なくありません。
「後悔」や「悔しい」で使う「悔」とは全く別の漢字なので、変換時にはひと呼吸置いて確認する習慣をつけましょう。
「教誨」はもともと刑務所や宗教といった、かなり限定された現場で使われてきた硬い言葉です。
友人との気軽な会話や社内メールの件名などにこの言葉を使うと、いかにも堅苦しく、場違いな印象を与えてしまいます。
部下や後輩に注意するときに「教誨します」などと言ってしまうと、必要以上に説教くさく、上から目線で偉そうな態度に受け取られかねません。
誰かを諭したいときは、もっとやわらかい言葉を選んだほうが、相手との関係を損なわずに済みます。
また「教誨」という言葉自体になじみのない読み手も多いため、説明を添えずに文章の中で使うと、意味が正しく伝わらないおそれもあります。
SNSやブログの投稿では「教誨」を「教悔」と誤って表記している例も見かけるため、公開前に変換ミスがないか見直すと安心です。
このように「教誨」は、使う場面や相手をよく選ぶ必要のある硬い言葉だと心得ておくことが大切です。
文章や会話の中でふさわしい場面かどうかを一度立ち止まって考えるだけで、余計な誤解や不自然さをぐっと減らすことができるはずです。
「教誨」の類語・言い換え表現
「教誨」の類語としては、訓戒・説諭・教化・諭す・説教といった言葉が挙げられます。
同じ「教え諭す」という意味の幅の中でも、それぞれ使われる場面や硬さの度合い、誰が誰に対して使う言葉なのかという点が少しずつ異なります。
たとえば職場でのちょっとした注意なら「訓戒」、警察や学校といった公的な場での正式な指導なら「説諭」が使われることが多く、どちらも「教誨」と同じくらい改まった響きを持つ言葉です。
一方で「教化」は、思想や人格そのものを望ましい方向へ変えていくという、より広い範囲を指す言葉として使われます。
これに対して「諭す」や「説教」は、家庭や職場といった日常の場面でも気軽に使える、比較的やわらかい表現です。
たとえば後輩に仕事への向き合い方を伝えたいだけの場面なら、「教誨」ではなく「諭す」を使うほうが、堅苦しくならずに気持ちが伝わります。
反対の姿勢を表す言葉として、相手を教え導かずに放っておく「放任」や、問題に気づいていながら見て見ぬふりをする「黙認」があります。
「教誨」がどこまでも積極的に相手へ働きかけようとする言葉であるのに対し、これらは働きかけそのものを行わない姿勢を表しているのです。
普段づかいの少ない言葉だからこそ、相手や状況をよく見きわめて、ふさわしい類語を選ぶ意識を持つとよいでしょう。
「教誨」のまとめ
- 「教誨」は「きょうかい」と読みます。
- 受刑者や信者などに、道徳や宗教の教えを説いて反省や更生、心の立て直しを促す言葉です。
- 主に刑務所・拘置所や、寺院・教会といった宗教の現場で使われる硬い言葉です。
- 実際にその指導にあたる人は「教誨師」と呼ばれ、専門的な役割を担っています。
ここまで見てきたように、「教誨」は「きょうかい」と読み、受刑者や信者などに道徳や宗教の教えを説いて、反省や更生、心の立て直しを促すことを意味する言葉です。
読み方も意味も一つに定まった、ぶれのない言葉であり、軽々しく使うための表現ではありません。
この言葉が主に使われるのは、刑務所や拘置所、寺院や教会といった、かなり限られた硬い現場です。
そこで実際に教えを説く役割を専門的に担っている人こそが、「教誨師」と呼ばれる存在なのです。
日常会話やビジネスの場面でこの言葉を使う機会はほとんどないので、無理に使おうとせず、「諭す」や「説教」、「訓戒」といった柔らかい類語の中から、文脈や相手にふさわしいものを選ぶとよいでしょう。
「教誨」という言葉の意味を正しく理解しておけば、ニュースや文学作品の中でこの言葉に出会ったときにも、その重みをきちんと受け取れるようになるはずです。