「多少」という言葉の意味を解説!
「多少」は「多いか少ないか」「多いことと少ないこと」という文字どおりの意味を基盤にしつつ、日常会話では「いくらか」「少し」「若干」といったニュアンスで用いられます。数量を明示せず、物事の程度が大きくはないがゼロではない状態を示すため、便利なあいまい表現として定着しています。
文語的な場面や書面では「多かれ少なかれ」「多少の差はあれど」といった慣用句が活躍します。肯定的にも否定的にも使えるので、スピーチやビジネス文書でも重宝されています。
「多少」は「多い・少ない」を同時に抱え込むことで、具体性と柔軟性を両立させる語です。この両義的な性質こそが、日常での使い勝手のよさにつながっています。
感情や評価にも寄り添いやすく、「多少ショックだった」「多少なりとも役に立った」など心理的な揺れ幅を淡く表現できます。数字を出すときには「多少前後する」「多少オーバーする」など、誤差をやわらげるクッションとしても機能します。
公的な文章では誤解を防ぐため「多少=約〇%」と注釈を添えることもありますが、会話では「だいたい」「およそ」と同等に扱われます。こうした幅広い用途が評価され、古典から現代まで息長く使われ続けています。
実務の場面では「多少の在庫」を「数十~数百個」と解釈することもあり、文脈によって幅は大きいです。そのため具体的な数量が重要な場面では補足説明が必須となります。
最終的に「多少」は「0ではないが多くもない」という中庸の位置を担い、言外のニュアンスを豊かにする言葉として活用されています。
「多少」の読み方はなんと読む?
「多少」の標準的な読み方は「たしょう」です。小学校高学年で習う常用漢字の範囲に含まれ、音読みの組み合わせで構成されています。
「多」を音読みすると「た」、もう一文字の「少」を音読みすると「しょう」なので、ひらがな表記にすれば「たしょう」になります。
現代日本語での一般的な読みは「たしょう」一択と考えて差し支えありません。ただし古典文学では「多少(いくばく)」と訓読される例も少数ながら存在します。
たとえば『徒然草』や『方丈記』など古雑記には「いくばく」の読みが見られ、これは「いくらか・どれほどか」という問いかけの意味合いが強い読み方です。
現代の国語辞典の多くは「いくばく」を歴史的仮名遣いの一種として併記するだけで、日常的な使用例としては挙げていません。したがって公的書類やビジネスメールでは「たしょう」と読むのが無難です。
また、放送用語やアナウンス原稿では振り仮名を振る場面もあり、「たしょう」と平仮名で示して読みのブレを防ぎます。日本語学習者向けの教材でも「多少=たしょう」の読みを最初に示し、別読みは補足扱いです。
以上より、現代日本語で「多少」を目にしたら、まず「たしょう」と読んで問題ありません。
「多少」という言葉の使い方や例文を解説!
「多少」は数量・程度・感情のいずれにも応用できる便利な副詞・名詞です。特にビジネス文書では数字の誤差を示すワンクッションとして大活躍します。
用法の鍵は「完全に確定していない数字や程度に幅を持たせたいときに差し込む」点にあります。場面ごとにニュアンスが変わるため、例文で確認しましょう。
【例文1】今回の売上は多少改善した。
【例文2】会議時間が多少延びるかもしれません。
上記は「少し」の意味での典型的な使い方です。相手に柔らかな印象を与え、ネガティブな情報をやんわり伝える効果があります。
【例文3】多少の雨なら決行します。
【例文4】この製品は多少高価ですが品質は保証されています。
ここでは「大きくはないが無視できない程度」のニュアンスが光ります。特に悪条件やコストを認めつつ、ポジティブな主張へつなげる際に便利です。
形容詞的に「多少の+名詞」で名詞を修飾する使い方も一般的です。「多少の誤差」「多少の無理」などが代表例で、この形では限定詞に近い働きをします。
コミュニケーション上の注意点として、相手が正確な数値を求めている場面で「多少」を多用すると曖昧さが残ります。その場合は「±5%の誤差」「一人あたり数千円程度」と、補足情報を添えるのが望ましいです。
最後に「多少」はフォーマルとカジュアルの両方で使える稀有な単語です。場面に合わせて柔軟に取り入れましょう。
「多少」という言葉の成り立ちや由来について解説
「多少」は中国古典語に由来します。『論語』や『礼記』といった四書五経の注釈にも「多少」という二字熟語が登場し、「数の多少」「量の多少」を議論する文脈で用いられていました。
日本には奈良時代に漢籍と共に輸入され、万葉仮名で「多少」と書かれた記録が残っています。
起源の段階から「多」と「少」という対置的な漢字を並べて“程度の幅”を示す役割が与えられていた点が特徴です。このため単語内部にすでにアンビバレントなニュアンスが仕込まれているともいえます。
平安期に漢文訓読を通じて広まり、『枕草子』では「多かれ少かれ」と和語要素を追加した形で用いられるようになりました。この混合表現が後世の「多かれ少なかれ」へ発展します。
江戸期の国学者たちは「多・少」のペアを用い、数量の相対評価を研究しました。『折たく柴の記』など日記文学でも政治談議や米価の上下を語る際に「多少」が頻繁に登場します。
明治以降には英語の“more or less”の訳語として定着し、翻訳書を通じて副詞的な用法が一気に広がりました。この流れにより、現代日本語における「多少=いくらか」の用法が揺るぎないものとなりました。
「多少」という言葉の歴史
古代中国では「多」「少」を別々に扱うのが一般的でしたが、後漢期の史書あたりで二字熟語化が確認できます。
日本への伝来後、奈良・平安の貴族社会で漢文訓読が盛んになるにつれ、「多・少」の並列が「多少」という固定形に落ち着きました。
鎌倉・室町期は武家政権の公家文書に「多少」が頻出し、主に年貢の量や人数の記録を示すために用いられました。
近世になると町人文化の書簡にも浸透し、江戸の商人が帳簿に「多少」を書き込む例が多く残っています。
明治維新後は欧米文化との接触で「概数・誤差」を示す語として再評価され、統計表や新聞記事に登場します。大正期には文学作品で心理的ニュアンスを帯び、「多少の寂しさ」「多少気が引けた」など感情表現へ拡張しました。
戦後の高度成長期には「多少増減」「多少前後」といった経済用語がメディアに氾濫し、一般家庭にも浸透。インターネット時代に入り、チャットやSNSでも「多少バズった」「多少盛った」など若者言葉としてアレンジされています。
「多少」の類語・同義語・言い換え表現
「多少」の近い意味を持つ語には「若干」「いくらか」「やや」「少々」「幾分」などがあります。これらはいずれも数量や程度をぼかして示す副詞・連体詞として機能します。
「若干」は文章語寄りで、ビジネス文書では「若干名募集」のように限定的に用いられます。「少々」は会話で多用され、「少々お待ちください」の決まり文句が有名です。
「やや」は程度を示す形容動詞的用法が強く、「やや困惑気味」のように感情や状態に使われる傾向があります。「幾分」はフォーマルで、「幾分か改善された」のように改善幅を示す表現が典型です。
置き換えの際は「数量」「程度」「感情」など、強調したい側面に合わせて最適な語を選ぶことがポイントです。例えば数量を示すなら「若干」、曖昧さをやんわり伝えるなら「いくらか」、くだけた印象を残すなら「ちょっと」が適役です。
日常会話ではニュアンス差が小さく感じられますが、書面での印象は語ごとに異なります。誤解を避けたい場面では、具体的な補足を入れたうえで類語を選択すると安心です。
「多少」の対義語・反対語
「多少」の反対語を考える場合、「数量が明確」「幅がない」または「極端に多い・極端に少ない」という視点があります。
まず「あらかじめ決まった量」を示す語としては「正確」「きっちり」「厳密」などが挙げられます。これらは曖昧さを排除する点で「多少」と対立します。
「極端に多い・少ない」を示す対概念には「膨大」「莫大」「皆無」「ゼロ」などがあります。前二つは「非常に多い」、後二つは「全くない」ため、「いくらか存在する」という「多少」と対照的です。
ビジネス文書で誤差をゼロに近づける意図を示すなら「厳密」や「正確」を選び、数量が完全に欠如する状況を示すなら「皆無」を使うことで「多少」と明確に線引きできます。
選択肢を誤ると意図が曖昧になるため、対義語を用いる際は「完全な有無」「誤差の排除」など自分が示したい軸を先に決めてから語を選ぶと効果的です。
「多少」を日常生活で活用する方法
家計管理では「多少オーバーしても許容範囲」と表現することで、ストレスなく予算をコントロールできます。健全な範囲内の誤差を許可する宣言になるため、家族との合意形成に役立ちます。
料理では「塩を多少加える」といった表現が便利です。分量が1グラム単位まで厳密でなくてもおいしく仕上がるメニューでは、あえて幅を持たせることで調理者の自由度を確保できます。
人間関係では「多少は理解できる」「多少なりとも力になりたい」のように、相手を思いやりつつ過度な期待を避けるフレーズとして重宝します。
子育てや教育の場面でも「多少失敗しても大丈夫」と声をかけることで、挑戦を後押ししつつ安全圏を示すことができます。絵本の読み聞かせで「多少」と言い換えれば、子どもにも「少しだけ」「完全ではない」という概念を教えられます。
健康管理では「多少の運動でも継続が大切」と自分に言い聞かせることで、ハードルを下げて習慣化を促します。心理的負荷を減らす巧妙なセルフトークです。
買い物の交渉やフリマアプリでは「多少のお値引きは可能でしょうか」と切り出すと角が立ちにくく、相手に歩み寄る姿勢を示せます。
「多少」についてよくある誤解と正しい理解
誤解①「多少=少量」と決めつける。
実際には「いくらか多い可能性」も含むため、コンテキストで判断する必要があります。
誤解②「多少」はフォーマルに不向き。
公的書類でも条件付きで使えますが、数値の補足や注釈を添える配慮が必須です。
誤解③「多少」を使えば責任が回避できる。
曖昧表現で逃げ道を作ったように見えても、重要案件では具体的な数値説明を怠れば信頼を損ないます。
「多少」は便利な曖昧語ですが、乱用せず“補助語”として使うのが適切です。必要な情報開示を省かず、相手との認識合わせを最優先に考えましょう。
「多少」という言葉についてまとめ
- 「多少」は「いくらか」「ある程度」を示す柔軟な語で、数量・程度・感情をぼかす役割を担います。
- 読み方は現代では「たしょう」が一般的で、古典的には「いくばく」と訓読される例もあります。
- 中国古典由来で、日本では奈良時代以降に定着し、明治期に“more or less”の訳語として広まりました。
- 曖昧さが便利な反面、ビジネスでは補足説明を添えて誤解を防ぐことが肝要です。
「多少」は“多い”と“少ない”の相反する漢字が手を取り合うことで生まれた、実に日本語らしいあいまいさと奥ゆかしさを持つ言葉です。だからこそ数字や感情を柔らかく包み込み、私たちの日常会話をスムーズにしてくれます。
一方で、責任ある場面では曖昧さがリスクにつながる場合もあります。使いどころを見極め、必要なら具体的な数値や条件を添えることで、「多少」の魅力を最大限に活かしましょう。